美容外科のルーツは実際のところ、外科という医科よりはるか古く、古代美容術にまでその精神的ルーツは遡るでしょう。これはそれほど意外なことではないと思いますが、根本的にはエステティック美容と同根であると言ってよいと思います。ただ、その後の進化過程と技術の発展方向が大きく分かれて来たということなのでしょう。いずれにしても美容外科の根本精神は女性の、あるいは人類の、理想美の追求とその維持にあることは間違いないはずです。
さて、そもそも人類の美容への関心はいつごろから芽生えたかといいますと、これはもう、有史以来、人類が文明を持ち始めた頃にはすでに何らかの美容術が存在していたことが数々の遺跡や文献からうかがえます。古代エジプト文明の壁画からは王家、貴族の子女がエステティック・マッサージらしきものをほどこされている図柄が発見されていますし、また、実際に美容外科の初歩のような術式も始まっていたようです。
美容外科にしてもエステティックにしても、その他の医学・科学・化学・冶金学・薬学などの根本はすべて「不老不死」への渇望に収斂します。中世錬金術も、結局は不老不死の妙薬を求める過程で、黄金という不滅の金属に着目した結果だったといいます。永久に若く美しくありたい、という願いは貴賤男女を問わず、人間として生まれた者の業として、現在過去未来を通じ、まさに永遠のテーマだったと言って差し支えないでしょう。
一方で、医学の中の外科という分野も、実は現代日本人が認知しているよりはるか昔から、我々人類を延命させる究極手段として培われてきた技術でした。日本では長い鎖国の時代に一端は衰退した技術でしたが、本来アジア・太平洋諸国では驚くほど高度な外科医療の技術が太古より伝えられてきたのでした。そうした技術と美容とが結びついた、美容外科のルーツとも言える治療もまた、想像よりはるか昔から試みられてきたもののようです。
現代の美容外科の直接のルーツとなる治療技術そのものは、やはり19世紀から20世紀にかけての急速な西洋外科技術の発展に待たなくてはなりません。とくに延命目的の外科治療と異なり、審美的治療を根幹とする美容外科にとって、傷痕を極力小さく留める技術は不可欠なものでしたし、ダウンタイムなど術後経過についての是非を左右する免疫学や再生医療の発達もまた必須条件であったと言えるでしょう。