外科の医療技術が急速に発達したのは皮肉にも不幸で大がかりな戦争が世界を席巻した時代の要請でもありました。具体的には戦場において、傷ついた兵士を延命する治療技術の向上が求められていたわけです。第一次大戦から第二次大戦にかけて、麻酔医学の急速な発展と、抗生物質の開発という両輪が、延命治療としての外科を支えたわけですが、いずれにしても延命優先の切断手術が主体とされた当時の技術は、現代の美容外科とはまるで相容れないものでした。
医療全般が本来の、古代エジプトの美容術の精神に立ち返り、審美的要素を高めてきたのは実に第二次大戦の後になります。それまでも、いわゆる整形外科という技術は存在していたわけですが、あくまで失われた肉体の代替物を形成するという、義手・義足の延長としてのものであり、せいぜい骨折治療や整体治療を行う程度で、美容外科、とまではとても言えないものだったのは確かです。
第二次大戦以前においても腕の良い整形外科医というものは存在していましたが、まさに一代限りの特殊な技術に過ぎず、ごく選ばれた天才的名医によってのみ、本来の美容外科は伝えられてきたわけです。ここで言う、本来の美容外科というのは、あくまで審美的な仕上がりを約束してくれる、真に美しいナチュラルな美容外科を指します。そうした名医は当時でもごくひとにぎりで、とても今日のように、そこにもここにも名医が存在する状況など、まさに夢でしかありませんでした。そうした意味でも、今日の美容外科の繁栄は実に目を見張るべきものです。
美容外科という分野が立ち上がってからというもの、我が国におけるそれは日進月歩の勢いで、あっというまに世界最高峰レベルまで昇りつめてしまいました。むろん、使用する薬剤や医療機器の開発については欧米の優れた技術力に頼むところ大ではありましたが、そもそも美容外科という繊細で緻密な治療分野に、我が国の優秀な外科ドクターたちの驚異的技術力がマッチしたという要素は外せないでしょう。
なぜこれほどまで、優秀な美容外科のドクターが巷にあふれる結果となったのか。これについては様々な意見がありますが、戦後の医学教育の充実に反し病院建設の遅れはいかんともしがたく、多くの優秀な外科ドクターを「余らせてしまった」ということが一方にあるでしょう。美容外科の世界にとっては実にありがたいことだったのですが、結果としてこの分野に優秀な人材が多く流入する要因となったことは間違いありません。そうしたドクターたちがさらに後進を育て、現在の我が国における美容外科の充実を形作ってきたのです。